プロレタリアートというものがあります。労働者階級という意味でブルジョアジー(資本家)の対義語ですが。ほんの数年前まで、ぼくはもう25歳をすぎてたでしょう、その時まで本当の意味を知らなかったのです。プロレタリアート文学というのは学校で習った記憶があり、代表作は小林多喜二蟹工船』というのも知ってました。(蟹工船の脳内変換はいつも蟹光線でしたが。)しかし、文学に全くといってイイほど興味のなかった僕は、その意味を芸術の1種だと思っていました。そう単純にアートからの印象です。当然教養としてロシア革命など無かったわけです。今でも無いです。オチはないし、なぜこんなすっとこどっこいな事を書いてるかというと、特に書く事がなかったからです。次回予告、なぜ「火遊びするとおねしょするよ」と言われるのかの適当検証です。